1月 13, 2018 • 会社紹介 • by Yutaka Tokunaga

Timedoor創業ストーリー

Timedoor創業ストーリー

フツーのサラリーマンが海外で起業を志す

僕は2014年にインドネシアのバリに渡り、この会社Timedoorを立ち上げました。

当時は自分が海外で会社を作るなんて夢にも思っていない不真面目な学生であり、フツーのサラリーマンだったので、今振り返ると自分がこうしてインドネシアで会社を社長をやっているなんて今でも夢のようです。

僕は昔から海外志向や起業志向だったわけではありません。本当にただフツーの人間でした。そして何かものすごい事件やきっかけがあってこの道に進んだわけでもありません。ただ漠然といつか海外で弱い立場にいる人たちの為に働きたいなぁ、もっと社会の役に立ちたいなぁと思いながら何も行動できないでいました。それでも海外に旅行に行ったりボランティアをしながら、少しずつ自分の進みたい道を自分の心に確かめるようになっていきました。

フィリピンに行った際にストリートチルドレンやゴミを拾って生活している子供を見て、初めて衝撃が走りました。自分が 日本で生まれ育ち 普通に働いていることが恵まれていることに気づいたのです。私は自分の名前がユタカというのですが、自分の名前に恥じないよう、もっと恵まれない方々を豊かにすることがしたいと思い、日本よりも貧しい国で仕事をしたいと思うようになりました。

カオスなインドネシアで起業を決意

そうしてだんだんと大きくなる自分の気持ちを抑えられなくなり、ついに務めていた会社を辞め、海外で仕事を探すことにしました。

さて会社を辞めたはいいが、どこの国で働くか決まっていなかったのでシンガポール、マレーシア、インドネシアと渡り、旅をしながら自分の進みたい道を模索しました。シンガポールやマレーシアも魅力的な国だったのですが、すでにかなり発展していて東京とあまり大きな違いがないように感じました。

一方でインドネシアは東南アジア最大のマーケットと呼ばれるように、とても活気があり大きなビジネスのポテンシャルがあるのがパッと見るだけでわかりました。その一方で渋滞、治安、衛生、教育、貧富の格差、たくさんの社会的な課題やカオスがあるような気がしました。

本当にまた都会で仕事がしたいのか、カオスの中で自分を鍛え直すべきなんじゃないか、色々と考えた結果自分にとって最も厳しくて、挑戦的なインドネシアのバリ島での起業を決意しました。

timedoor創業時のオフィスの様子

timedoor創業時のオフィスの様子

苦難の連続

何をやるのかも決めずに自分の得意なITの分野で会社を作って挑戦してみようと、半分勢いで決めた起業でした。今考えるとなんて適当な意思決定をしていたんだと思いますが、当時の自分にあったのは根拠のない自信と勢いだけでした。

その後は会社設立、人材採用、顧客開拓と苦難の連続でした。最初は何をどうしていいかわからなかったので、学校に突撃してセミナーをやらせてもらって採用活動をしたり、そこで採用したプログラマーやデザイナーと一緒になって飛び込み営業200本ノックをしてみたり、折角トレーニングしたスタッフがすぐに辞めてしまったり、上手くいかないことばかりで大変でしたが今ではいい思い出です。

最初の創業メンバー

最初の創業メンバー

 

苦難を糧にインドネシアを代表するIT企業を目指す

日本ではIT部門にいてシステムの開発やマーケティングでお金を使うことしか知らなかった僕が1万円をお客様からいただくことが、こんなに大変なことだとわかったのもこの時です。

がむしゃらに仕事をしていくうちに、少しずつ実績や人脈も増え、インドネシアの大手企業の仕事や日本のオフショア開発の仕事もさせていただくようになり、また多くの方に助けていただきながら今日までインドネシアの地でビジネスを続けさせていただくことができております。

 

今日の我々はお客様にとっても社員にとってもインドネシアに無くてはならない、インドネシアを代表するIT企業になろうと日々チームメンバーと奮闘しています。何年経っても我々のベンチャースピリットは創業当時から変わっていません。

 

あの時の苦労があるから今日の僕たちは色んなことに挑戦できる強いチームになりました。

 

今日もインドネシアのカオスの中で少しでも前進しようともがいています。
暑い日差しを浴びながら、バイクで排ガスを浴びて喉を痛めながら
あの時の初心を忘れずに今日もスタッフと挑戦しています。

 

まだまだ道なかば。

 

どうぞ今後とも応援よろしくお願いいたします。

 

timedoor創業当初のオフィス

timedoor創業当初のオフィスにて

徳永 裕

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