10月 31, 2024 • インドネシア • by Yutaka Tokunaga

昔はインドネシアのシルバーマンを見て笑っていた、でも今は少し悲しい気持ちになる

昔はインドネシアのシルバーマンを見て笑っていた、でも今は少し悲しい気持ちになる

インドネシアに来たばかりの頃、私は街の交差点に立って銀色に塗られた「シルバーマン」を見て、思わず笑ってしまった記憶があります。日本ではあまり見かけないこの路上パフォーマンスは、観光地の大道芸のようにも見え、最初はユーモラスな存在として受け止めていました。しかし、数年暮らしてみると、彼らの背後にある社会の現実に気づかされるようになり、今ではその光景に少し心が痛みます。

この記事では、インドネシアの街角に立つ「シルバーマン」が何を映し出しているのか、そして私たちがそこから何を学べるのかを考察していきたいと思います。

 

 

シルバーマンとは何か?

路上の静かな存在

「シルバーマン」とは、全身を銀色の塗料で塗り、彫像のように静止したり、ロボットのようにゆっくりと動く路上パフォーマーです。多くはジャカルタやスラバヤ、バリなどの都市部の交差点に現れ、通行人やドライバーにチップを求めて活動しています。

観光アートか、貧困の象徴か

この行為は一見するとユニークな芸術活動に見えますが、実際には生活のために仕方なく行っている人が多く、中には10歳前後の子どもも含まれています。観光文化として許容されがちですが、その実態には深刻な社会問題が潜んでいます。(もちろんその仕事が好きで誇りを持ってやっている方もいるでしょう。私はそれを否定しません)

 

 

子どもたちの命と引き換えの「銀色の衣装」

児童労働の現実

インドネシアでは、児童労働は法律で禁止されています。しかし、経済的に困窮する家庭では、子どもが「家計の一部」として働くことが一般化しているケースも多く、シルバーマンもその一形態といえます。親に連れられて路上に立つ子ども、学校へ行けずに朝から晩まで塗料にまみれて過ごす子どもたちの姿は、児童の権利保護の面からも看過できない問題です。

健康リスクへの無関心

さらに問題なのは、使用されている銀色の塗料です。多くは工業用のペンキであり、皮膚疾患や呼吸器系の障害を引き起こす有害物質を含むことが指摘されています。長時間にわたり塗料に接することで、慢性的な健康被害を被る危険性もあるのです。

 

 

なぜ彼らはそこに立ち続けるのか?

貧困の連鎖

根本的な理由は、やはり貧困です。パンデミック以降、インフォーマルセクターで生計を立てていた多くの家庭が収入を失い、「今日を生きるため」の選択肢としてシルバーマンという手段を選んでいる家庭が増えました。地方から都市に出てきたばかりの家族や、失業した親たちにとって、子どもに「稼がせる」ことは生活の手段であり、生存戦略なのです。

教育機会の格差

路上で過ごす子どもたちは、当然ながら学校に通うことができません。学校教育から離れたまま成長することは、将来の選択肢を奪い、結果としてまた貧困に戻っていく悪循環を生み出します。このような構造が固定化されている限り、シルバーマンは「一時的な光景」ではなく「常態化された社会現象」となり続けるでしょう。

 

 

私たちはどう接すべきなのか?

お金を渡すべきか否か

街角でシルバーマンを見かけた時、「かわいそうだから」「一生懸命だから」とチップを渡す人も多いかもしれません。もちろんその善意は否定すべきではありません。しかし、果たしてそれが彼らの未来を良くする行為なのでしょうか。短期的な支援は「目の前の食事」にはなっても、「教育へのアクセス」や「構造的貧困の解消」にはつながりません。

支援はどこを通すべきか

実際には、NGOや市民団体の中には、シルバーマンのような児童労働に取り組むプロジェクトを展開している団体もあります。教育支援、医療提供、カウンセリングなど、包括的な支援を行う枠組みに寄付をすることで、より持続的な解決に貢献できます。支援の意志を持つならば、個人ではなく「仕組み」を通じて行うべきなのです。

 

 

本当に問われているのは、社会全体の構造

見て見ぬふりはできない

インドネシアの都市部で生活していると、つい見慣れてしまう光景があります。交通渋滞、物乞い、そしてシルバーマン。これらを「日常の風景」として受け入れてしまうことこそが、最も根深い問題かもしれません。

変えるのは難しい、でも無関心よりはいい

もちろん、私たち一人ひとりがこの社会構造をすぐに変えられるわけではありません。しかし、「見えないことにする」のではなく、「気づいた上で何をすべきか」を考えることが、第一歩になるのではないでしょうか。ビジネスの世界で成果を追う日々の中でも、私たちはその社会の一部として、子どもたちの未来に少しでも関心を持つべきではないかと思います。

 

 

終わりに

私がかつて笑って見ていたシルバーマンは、今では私に問いを投げかけてくる存在になりました。
「君はこの状況に気づいたけど、それでも何もしないのか?」と。

小さなチップを渡す代わりに、何ができるのか。
シルバーマンがいない社会とは、どんな社会なのか。
その問いかけに、私たちがどんな答えを出すのかが、試されているように思います。

 

 

 

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