
9月 20, 2024 • ニュース
6月 11, 2024 • by Reina Ohno
目次
初めまして。 大野玲奈(オオノレイナ)です。最近timedoorに入社した23歳の日本人です。
timedoorでは、新規事業の人材育成事業部(LPK)の責任者を任されており、今後はIT事業の日本企業様向けの営業も担当していきます。
バリ島にはまだ住み始めて2ヶ月ですが、以前は首都ジャカルタのあるジャワ島に1年ほど住んでいたので、特技はインドネシア語の会話とインドネシア人とすぐに友達になれることです。
今回の記事では、23歳でいきなりインドネシアで事業責任者を任されてしまった私がどんな人間なのか、何をしているのか、これからtimedoorで何をしていきたいのか、皆様にシェアさせていただければと思っています!
もともと学生の時から「国際協力」、途上国の社会問題に関心がありました。
インドネシアとの縁は、大学1年生の時です。初めてインドネシアを訪れ、現地の人と触れ合う中で自分の心が明るくなり、それからインドネシアをはじめとする発展途上国の文化や人々の人柄に惹かれるようになりました。
大学4年生の9月から1年間「インドネシアで事業立ち上げをするインターンシップ」に参加したのがきっかけで今に至ります。
元々まずは日本で修行しようと就活をしていましたが、大学のシステム上休学することができなかったので、就活を辞めインドネシアに飛びました。
中には応援してくれる人もいましたが、新卒入社が当たり前の日本では珍しく、心配されることもありました。大学の就職課から電話がかかってきたこともありました笑
大学で第二言語で習っていたといっても、自己紹介ができるレベルだったので、初めは何を言ってるのかわからずとてもストレスでした。
まず初めに一緒に働く仲間探しから始めましたが、そもそも見知らぬ土地で知り合いもいなく、絶望した日もありました。(家がなくて途方にくれた時に屋台で食べた、インドネシア料理肉団子スープBaksoの味は今でも覚えています笑)
当たり前に仕事は与えられるわけではなく、自ら創り出さなくてはいけない環境だったので、必死にできることを考えて動きまくった経験が今の事業立ち上げにも活きています。
時には苦しみ泣きながらも、自分自身をアップデート、いや人生を大きく変えることができました。
昨年末にインターンシップが終了し、周りとは一足遅れて就職活動を始めました。
インドネシア、日本、他の国で就活してみましたが、自分の軸としては、「引き続きインドネシアや海外で教育・人材に関わる事業を作り出し、経営するスキルを手に入れたい」と思っており、インドネシアで責任ある立場で事業ができるような仕事を求めて就職活動を進めていきました。
その中で、代表の裕(会社の社員はみんなYutaka-sanと呼んでいる)さんから、人材教育事業の新規事業をtimedoorでも始めたいことを知りました。
裕さんとは、私が「日本人 インドネシア 社長」とサーチした際、記事が引っかかり、それを読んだのがきっかけでした笑(サーチで見つけた自分が、今はtimedoorの記事を書いているのが不思議です。)
インドネシアに住む日本人の世界は大きくはないので、後に知り合いました。
当時私はジャワ島に住んでいたので、観光地で知られ多くの観光客が集まるバリ島の生活は未知でした。
しかし、経営者の近くでITのことを学び、人材事業の事業計画を0から作り、立ち上げをする大きな機会があること、また、会社自体が「永遠スタートアップ」「世界で挑戦し続ける」「社会にインパクトを出す」ことを大事にしながら、社内はとてもアットホームな環境が自分にフィットしていると感じ、ジョインすることを決めました。
毎日必死です大変ですがやりがいがあって楽しいです。
私と代表の他は、全員インドネシア人スタッフです。
そのため、仕事で使うインドネシア語や英語、インドネシアの仕事の仕方や文化、コミュニケーションの仕方を日々学びながら仕事をしています。
時には文化の違いから理解に時間がかかることもありますが、毎日さまざまなことが起こっていく中で学びがあり、とても刺激的です。
働いていると、突然「パンあげる!」とスタッフから食べ物をもらったり、カオスな環境で、毎日最低1回は爆笑する瞬間があります笑
timedoorは150人規模の会社でありながら、創業当時から裕さんが大事にしていた「家族感」「アットホーム感」はいまだに会社を表すキーワードになっていると思います。
また、timedoorの文化は、仕事においてプロ意識を大事にする「カスタマーファースト」「納期を絶対守る」といった日本らしい考え方や、「楽しく仕事をする」「家族や友人との時間を疎かにしない」といった人間味のあるコミュニケーションを大事にするインドネシアの働き方の両者が融合されています。
これは、なかなかインドネシアにある日系企業でも珍しい多様的な環境だと感じます。
私たちのVision、「Opportunity for All Challengers」という名前の通り、何かしら日々の現状を変えたい、自らを変えたいと思っている若者に、0から日本語教育・技能教育やキャリア教育を提供し、日本での就労機会を創り出しています。
ただの言語や技能を教える学校ではなく、これからIT化がますます進んでいく世の中で重要視される、人格、心を育てる教育に着目して取り組んでいきます。
日本には、外国人が学んだり就労したり移住するための在留資格はたくさんありますが、私自身がインドネシアで圧倒的マイノリティの外国人として働いてみて感じた、海外での就労を通して自らをアップデートさせる機会を創り出したいです。
今年は、在留資格(VISA)特定技能の外食分野やオフィスワークVISAのITエンジニアの人材教育を行う予定です。
timedoorにジョインしてすぐに事業自体の事業計画書や組織図などを作ることになりました。
書き方がわからなくてGoogleで「事業計画書 作り方」と調べながら、売り上げ、経費、利益などの計算をしてみたりしました。
何年後までにどれくらい利益を出したいなど、作り出したら面白かったのを覚えています。
やり方があっているのかはわかりませんが、教育事業の肝である日本語の先生の採用をしたり、timedoorの目指す学校のゴールから逆算し、自分たちのオリジナルのシラバス・カリキュラム・教案を作成したりしました。
また、大事な生徒探しでは、日本関連のイベントに参加、学校訪問、ソーシャルメディア運用、セミナー開催、知り合いに宣伝を頼む、オンラインバイクタクシー(Gojek)のお兄さんやその友人にも拡散してもらったり、生徒の募集もできることは全て行い、なんとか時間も実績もないものの生徒を集めることができました。
次に生徒の生活する寮を探さなければなりません。寮探しは100件近くの物件探してもいい物件がなくて途方に暮れていたところ、オフィスのすぐ目の前の一軒家が空き家で格安で借りれることに気づきました(THEポンコツ)。
借りたばかりの家を掃除する様子
それからどうやって生徒の勉強や生活を管理すればいいのか、どんなルールを設定すればいいのか、考えて考えて一番いいのは自分が常に監視することだと考え、私も寮母として生徒と一緒に住むことになりました笑
今では毎日水シャワーを浴び、6:30に生徒たちをたたき起こして一緒にランニングをするところから生活を共にして、日本の文化や生活の仕方を教えたり、生徒の勉強を手伝いながら、夜中まで終わらない自分の仕事に追われている毎日です。
そのような形で、必死に毎日を生きていたら、あっという間に月日が経っていました。
この事業を軌道に乗せることが今の一番の目標ですが、将来的には、卒業生が日本で働いてバリ島に戻ってきたのちに、他の国で再び働く機会やインドネシア国内でキャリアアップできる仕組みを創りたいです。
「仕事」の価値観は人それぞれですが、社会人になると平日1日の1/3以上を費やす「仕事」をとても楽しくできたら幸せだと思います。
インドネシアではアニメや漫画などを通して日本に興味を持つ若者が多く、親日な国で、日本に行ってみたいという方々はとても多いです。
また、インドネシアの仕事探しは、日本とはまた違い、自己分析をして就職活動をするなどの若者のキャリア教育がまだ一般的ではありません。
政府は、人口が急増し、世界人口ランキング第4位に位置する2億8000万人の人口に対して、就労機会の創出が難しいという問題を抱えています。
そのため、インドネシア人の若者を日本に送り出すこの人材教育事業は、日本の就労人口不足を補うだけでなく、インドネシアの社会貢献にもつながると信じています。
この事業を通じて、多くのインドネシア人の若者が、定量的な、お給料やポジション、日本語レベルといったものだけでなく、
定性的でとても大切な、マインドセットや人間力が試される圧倒的マイノリティ・異文化な環境で、海外での就労に挑戦する機会を創り出し、インドネシアの将来を担う人材育成に貢献できたら嬉しいです。
まだまだ未熟な我々ですが、本当にいい人材を育てて世の中に送り出していきたいと本気で思っています。
現在新規で人材事業で提携してくださるエージェントや日本企業の方々や、引き続き、IT事業でも開発案件を募集中です。
お気軽にご連絡ください!