
2月 26, 2025 • 会社紹介, インドネシア
6月 15, 2025 • インドネシア • by Yutaka Tokunaga
目次
日本で育った方は、幼いころから「言ったことはやり切る」「一度口にした約束は守る」という文化の中で育ちました。ビジネスの世界でも、たとえ困難でも一度出したスケジュールや納期、目標はなんとか実現しようとする「やりきりの美学」が求められます。
インドネシアに来て最初に戸惑ったのは、「言っていることと、やっていることが違う」場面に頻繁に遭遇したことでした。その中心にあるのが「Omong-omong saja(オモン・オモン・サジャ)」という口だけ文化です。
今回はインドネシアの言ってるだけで実行がないという問題について解説します。
この言葉は直訳すると「ただ話すだけ」。つまり、「口だけで実行が伴わない状態」を意味します。 ビジネスの現場においても、例えば次のようなやり取りが日常的に見られます:
これは怠惰や悪意からだけではなく、人間関係を壊したくないという優しさや、対立を避けたいという気持ちから来ていることもあるでしょう。
また、政治の世界でも同様の傾向が見られます。多くの政治家がマニフェストや会議の場で壮大な計画を語りますが、実際には実行に移されない、あるいは途中で立ち消えになることが少なくありません。選挙期間中に掲げた政策が任期中に具体化しないケースも多く、有権者の間で「どうせ口だけだろう」という諦めの感情を生んでいます。しかし、結果として「信頼関係の崩壊」や「時間の無駄」につながってしまうのです。
Omong-omong saja文化が根付いている背景には、ひとつは、責任に対する捉え方の違いです。日本では「約束=契約=実行義務」として捉える傾向がありますが、インドネシアでは「言うこと=可能性の表明」であり、発言それ自体が最終的な責任を伴わないことが多いのです。そのため、計画を語ることや夢を共有することは重要視されますが、それをやり抜くという意識が制度的にも文化的にも弱いまま放置されがちです。
また、組織や社会における“実行”の評価基準が曖昧であることも関係しています。インドネシアの多くの組織では、プロセスよりも「誰が言ったか」や「どの場で言ったか」が重視され、結果に対する責任の所在が不明確になりがちです。
さらに、教育システムや行政文化における形式主義の影響も大きいです。たとえば、会議やレポート、式典では多くの立派なスローガンやプランが語られますが、それを日々の行動や制度運用に落とし込む仕組みや習慣が十分に確立されていません。これは、言葉と行動が乖離した状態を常態化させ、結果として「話す=やった気になる」構造を再生産しています。
この文化は、特に多国籍プロジェクトや日本企業との提携において、大きな誤解とトラブルを生む原因になります。
例えば、インドネシア企業が「大丈夫です、任せてください」と言ったにも関わらず、実際には準備も体制も整っていなかったという事例を何度も見てきました。日本側は「約束を反故にされた」と受け取り、インドネシア側は「なんでそんなに怒っているのか分からない」と感じる。この認識のギャップは非常に根深いものです。
実行責任(Accountability)を曖昧にしたままプロジェクトを進めると、期日遅延、品質低下、そして信用喪失に直結します。インドネシアのスタートアップに投資する海外ファンドが「KPI未達が常態化している」として手を引く例も報告されています。
私がこの文化を「嫌い」と言うのは、単なる批判ではありません。むしろ、ここで働く以上、どうすればこの文化と向き合い、建設的に共存できるかを考える必要があります。
第一に、曖昧な表現に対しては具体的な再確認を行うこと。「いつ?」「誰が?」「どうやって?」という問いを投げかけ、責任の所在を明確にします。
第二に、失敗を責めるのではなく、事実を事実として受け止め、改善につなげる文化を育てること。多くのインドネシア人は、叱責よりも共感と支援を通じてモチベーションを高めます。
第三に、長期的な信頼関係の構築です。一度でも「言ったことをやる」「やると言わないことはやらない」という姿勢を見せれば、相手も自然と変わっていきます。
インドネシアはとても可能性に満ちた国です。だからこそ、口先だけで終わらせず、「小さくても確実な一歩」を積み重ねる文化が求められています。
Omong-omong sajaに甘んじてはいけません。今この瞬間から、一人ひとりが行動で示すことを意識するだけで、インドネシアのビジネス文化は大きく変わると私は信じています。
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